其の昔、米沢藩の塩問屋をしており、その名残を偲んで作られた「塩小倉」。雪深い里の味、ほのぼのとした塩の味、十印の塩小倉をご賞味くださいませ。

 

 


羊羹好きで知られる、「天地人」の原作者
火坂雅志氏にも喜んでいただいた塩小倉。

 NHK大河ドラマ「天地人」の原作者火坂雅志氏は大の羊羹好きで各地の名物羊羹を訪ねまわられたそうです。当店にも取材で来店され、塩小倉を求められました。その塩小倉と十印との出会いが小学館から発行された『羊羹合戦』のあとがきで紹介されました。

 いろいろと情報を集め、羊羹について知りつくしたような気になっていたところ、最近になって、思いがけぬ逸品に出会った。
羽前小松(山形県東置賜郡川西町)にある十印菓子店の、
―――塩小倉
である。
大納言の粒が入った小倉羊羹なのだが、隠し味にほんのりと塩が効かせてあり、それが懐かしく、奥深い風味をかもしだしている。
製造元の十印菓子店にも由来がある。
そもそも、「十印」を商標とする金子家の先祖は、回船問屋をいとなんでいた。関が原合戦前後の激動の時代、越後の領主だった上杉家が会津若松、さらに出羽米沢へ移封になると、米沢藩の御用商人として塩問屋の看板を掲げるようになった。
  金子家が店を構えたのは、越後の海岸から米沢城下へ塩やイサバ(塩魚、干物)を運ぶ越後街道に面した羽前小松の地であった。塩問屋「十印」はおおいに繁盛し、米沢藩の侍や村々の肝煎りたちに金を用立てることもしばしばであったという。

ために、
「置賜地方の(米沢盆地)の経済は、十印でわかる」
とまで言われた。

  明治になってから、塩が専売となったため、十印は菓子屋に転業し、かつての名残を「塩小倉」にとどめているのである。
  その歴史を振り返るだけでも、羊羹はひときわ味わい深い。


  火坂雅志著『羊羹合戦』(小学館刊)より



  人も、物も雪国育ち。飯豊颪に培われた風土の味と心を、今後も届け続ける所存でございます。
  どうぞ、末永くご愛顧賜りますようお願い申し上げます。


十印店主

 

塩問屋の名残りを、『塩小倉』にとどめて・・・

 先祖は日本海の商港酒田から二百数十キロの山間部にある川西町にあって塩問屋を営み、当時の藩主上杉家や酒田の豪商本間家とも取引があったと伝えられております。 

 米沢藩の塩問屋をしておりました名残を偲んで塩と砂糖一体という至難のテーマに取り組み完成したのが「塩小倉」であります。吟味した材料を新鮮なうちに、その特性を無理なくいかした
菓子づくりを心がけております。